時間に余裕が出来てから映画を見たりゲームをするようになったんですが
その度に思うことがあります
エンドロールって要らなくない?
もちろん作り手側の事を考えれば自分が携わった作品に名前が載ると嬉しいでしょうし
エンドロールがなければ役者や監督以外の関係者の存在が伝わらないという事は分かります
ですが消費者側からするとそういった制作サイドの都合だけなのであれば
黒背景の上をひたすら流れる見知らぬ人名を見続ける理由には不十分なように思われます
とはいえ視聴者側でも私の意見に賛同できない人も多くいることは知っています
日本では映画館でエンドロール中に席を立つことはマナー違反と言う人すらいますし
どちらが多数派か統計を取ったわけではありませんが少なくとも一定割合は擁護派だと思います
そんなエンロールが必要だという人の意見を調べてみると主にこんな主張が見つかりました
エンドロールを最後まで見る派の意見
・エンドロールも含めて作品だと思う
・映画を見た後の余韻に浸るための時間だから
・エンドロール後におまけがあったりするから
・スタッフの名前を見たいから
これらも一理あるように思いますが所々突っ込みたくなる部分もあります
まず一つ目のエンドロールも含めて作品というのは正直全力で否定したい所です
というのもエンドロールが流れている時の画面は黒背景にただただ文字が流れているだけでであり
作品と言い張るには余りにも無味乾燥な内容です
確かに映画のエピローグ的な映像や音声とともにテロップが流れる場合においては
十分作品の一部と言えるものだと思いますがこれはあくまでも例外的な物であり
多くのエンドロールには当てはまりません
更に言うとエピローグを流すケースでも結局黒背景に移行することも多く
エピローグの二、三倍の時間ただただ黒字に白の文字が浮かんでいくのを見る羽目になってしまいます
どちらにせよただ関係者リストを流しているだけのエンドロールを
あくまで作品の一部と言い張るには無理があるでしょう
二つ目の余韻に浸るための時間だからというのも分からなくはないですがやはり疑問が残ります
作品がラストシーンでブツッと切れてしまったら確かに余韻も何もないので
私自身多少感想に浸ったり静かに考察する時間がほしくなります
ですがその余韻を計算して作っているとは思えませんし計算づくだとしてもエンドロールは長すぎます
たっぷり余韻を楽しむとしても個人的には五分もあれば長すぎるくらいですし
それ以上求める人がいるとしても後は家なり喫茶店なりでゆっくり余韻に浸ればいいと思います
最近では本編が一時間半でエンドロール十六分というマーベル作品や
ゲームFF14にいたってはエンドロールのみで1時間38分という暴挙のような長さです
流石にFFの例はギネスに載っているほどの特殊例ですが
よくある十分前後のエンドロールすら余韻を考えても長すぎると言えます
三つ目のエンドロール後におまけがあったりするについては
逆に製作者がエンドロールは視聴者にとって退屈と認めているようなものじゃないでしょうか
ちょっとしたNG集や後日談などは私も好きですが
そのためにエンドロールを見ているだけでエンドロールの価値ではありません
むしろおまけがあるかどうか分からないから仕方なく最後までエンドロールを見ている状態なので
エンドロール後の演出を完全廃止して全てを作品内に収めてほしいというのが正直な気持ちです
まれにかなり映画好きな方でスタッフの名前を見たいという方がいますが
個人的にはこれが唯一まっとうなエンドロール肯定の理由だと思います
他の理由と違いエンドロールをそのままエンドロールのまま必要としており
他の要素では代替できない役割を求めているからです
こういう人が多数派だとしたら私もエンドロールを撤廃しない理由に諦めがつくのですが
実際割合的にはどれくらいいるんでしょうか
ちなみに気になって調べたところ昔のエンドロールはメインスタッフのみで
今のように全スタッフが出る形の元祖はスターウォーズなどで有名なジョージルーカスと言われています
当時映画製作の予算が足りず、スタッフに給料が払えないため
代わりにエンドロールに名前を載せることで納得してもらったそうです
今でもたまに見る「撮影協力:○○町の皆さん」的なテロップと似たようなものでしょうが
元々そういったスタッフ向けの物となると余計に視聴者側が付き合う理由はないと思えてきます
なんとなく同調圧力を感じて今までエンドロールに付き合ってきましたが
今後は一人で映画を見に行くときは事前におまけ映像の有無だけ調べて
特にオマケがない場合は本編が終了した時点で席を立つのも選択肢に入れることにします
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